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現在に存在しながら見る
「心が静寂である時、心を遥かに超えた世界が訪れる。」
覚醒は内なる世界と外なる世界の間に架け橋を作ります。 知覚が瞬間と結びついた時、知覚の情報、あるいはウスペンスキー氏が述べたところの「印象」が、内なる自己へと流れます。 この印象の内への流れによって、目覚めているのか眠っているのか、複数の〈私〉に埋没しているのでなく、外なる世界を気付きつつ認識しているのか、ある程度見分けることができます。現在に存在すればするほど、統一されたリアルな自己が外なる世界からより多くのものを受け取ります。 現在に存在する状態なしでは、知覚的な印象は上辺だけのものに留まります。 現在に存在する状態において、高次の自己は新しい世界の探索者となります。 目を通じて「見る」ことで、意識は印象を直接自己へ届けます。 物体、友人、芸術、自然を見る目を通じて、意識的に見るという訓練が生み出されます。 普段空想に浪費される時間を、絵画の詳細や花の複雑さの研究や、バスを待ちながら瞬間ごとの全光景の観察に利用します。人は多くの驚異的な事柄に対し公平な観察者となります。 「ある視界から別の視界へ進め」と言ったホイットマンは、第 3 の目の神秘的な視覚について語っています。 印象は創造性の原料です。 画家はキャンバスの題材として風景や身体、物体の動きに手を加える研究をし、舞台演出家は芝居の劇的陰影を強調するために光と影を操り、詩人はバス停留所で見出す雑多な出来事を詩の素材として利用します。 しかしそれより重要なことは印象を覚醒に使うこと、第 3 の目に照準を合わせて現在に存在する状態で見ることです。 関連する引用:
「霊的な目の指定席は、両の眉の間にある。」
「曇った膜は取り払われ、自己の目覚めた目が、私の不在を追い払った。」
「自然が人の目に触れさすことを拒んだそれらを、彼女はあばいて魂の目にさらした。」
「私はわが身のこの無為の目に、もはや景色を見せる窓ほどにも疑問を抱かない。 私はそれを通して見る、それで、ではなく。」
全ての人に魂の目は在り、それは幾千の肉眼よりも貴重なものである。
調和の力、深い歓喜の力によって静寂を得た目を通して、私たちは対象に生命を見る。
両目の背後にもう一つの視界が立ち上がる。
心の目が開くその時まで、凝視する人は現れることができない。
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Printed by permission of the Swiss Literary Archives / Swiss National Library, Bern. リルケは初期の詩における神秘的な観察から始めて、現在に存在する状態でどのように見るか(『新詩集』)、のちには第 3 の目と共にどのように見るか(『ドゥイノの悲歌』)を学んだ。「非常に深く観察してみると、世界は愛に花開くことを欲している」。
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